ブログの理念とプロフィール

初めまして、荒馬です。

僕は今、仙台で会社の研修をしています。

来年には、東京に戻ることになっています。

今やっているのは、予備校の講師です。

予備校で講師を始めてから3年ほどになります。

予備校というのは、司法試験の予備校です。

大学では、法律を学び、司法試験に合格して、予備校の講師になりました。

そこでは、自分の成績を上げることとは違い、他人の成績を上げるということの難しさを痛感しました。

そこで講師として働きながら、心理学、マーケティング、プログラミングなど法律とは違った多くのことを学びました。

その結果、教え子を合格に導くことができ、また講師としての収益を上げることができました。

今では、会社の中核として、企画・営業・販売など会社全体の戦略を担う立場になっています。

会社といっても、正社員となっているわけではありません。

業務委託という形で、会社とは関わっています。

今現在の日常としては、

  • 研修を通して、新たな知識の吸収
  • 資産化した教材・講義で勝手に収入が入ってくる
  • 本を読んで知識を吸収し、学んだ知識を会社の戦略に生かす
  • それまでは会えなかったような実業家と出会い、学びを得る
  • プログラミングを学んで、アプリを作る
  • 自分を高めることが面白い

などなど、多くの経験をすることができました。

特に、講師をする上で学んだマーケティングやプレゼンなどの知識は

自分の成長にとって大きなプラスになりました。

そして、現在、新たな学びを得ようと、ネットビジネスに挑戦しています。

それまで、インターネットのビジネスに関する知識は皆無でした。

ブログはおろか、

「Twitterのやり方さえよくわからない」という状態。

そんな中、世の中にはネットビジネスの分野で大きく稼ぎを挙げている人たちがいることを知りました。

なんだ、これは。

自分と同じくらいの年齢なのに、意味わからんくらい稼いでいる。

お金もあり、自由も得て、普通じゃ考えられないような人たちと会い、とんでもないスケールでビジネスを展開させている。

衝撃を受けました。

こんな世界があるのかと。

それと同時に、自分がいかに努力できていないかということを痛感しました。

司法試験に受かって、司法試験に関する勉強を教えている。

これではまるで、自分が獲得した知識で食いつないでいる状態。

講師として活動する過程で色々なことを学んだように見えて、実はそれを他の分野で生かしていない。

殻に閉じこもっている自分がいる。

そう感じました。

そして、自分の力で稼ぎを得て、金銭的にも精神的にも自由を得られるネットビジネスの存在に強い魅力を感じました。

これこそ、自分が求めていたものではないか。

自分の夢に近づけるのではないか。

期待と不安が入り混じったような、ワクワク感が心の中で燃え上がりました。

このブログの理念は、自分の力で稼ぎを得て、人として独立する

そんな思いで、読んでくださる方の人生が少しでも豊かで楽しくなることを

目指して情報発信をしていこうと思います。

僕自身、ネットビジネスの世界では初心者といえるかもわからない生まれたばかりの赤ちゃんのような存在です。

そんな僕が、勉強し実践していく中での成長を通して、

人として独立していく過程を発信していきたいを思います。

皆さんに気に入っていただけるようにこれから頑張っていきます。

僕がこのような活動をする上で、
過去の経歴を共有しておくと、
より理解しやすくなるし、
僕のブログの内容を理解しやすくなるかと思います。

なので、少しばかり僕の過去の物語を今から共有をしていこうと思います。

せどりを初めてやった時の話

よければこちらも読んでみてください。

それでは、荒馬物語、スタートです。

ーーーーーーーーーー荒馬物語ーーーーーーーーーーー

幼稚園時代

幼稚園時代は特に記憶にないし、特筆すべき事項もありません。

なら、どうして書いた!

って言われそうですが、「荒馬」って名前は実は幼稚園時代から来ているんです。

幼稚園の年長のクラスが「あらうま組」

僕のこの「あらうま組」がとても好きでした。

ここから、「荒馬」という名前が来ているんです。

転校を繰り返した小・中学生時代

小学校と中学校は父の仕事の影響で、転校が多く続きました。

小学4年生の時、埼玉から宮崎の小学校に転校。

転校が決まった時は、家で泣きじゃくりました。

でも、宮崎の小学校はすごく楽しかった。

宮崎に行けて、とても良かったと思っています。

宮崎の小学校でも、クラスの3分の1くらいの人が、中学受験に向けて勉強をしていました。

将来はいい大学に行って、いい職業に就きたい。

そんな思いを幼いながらに持っていた同級生が多かったように思います。

でも、僕はそんなこと考えもしませんでした。

小学校からサッカーに明け暮れ、サッカーのことだけ考えていました。

普通の公立中学校で十分でしょ。

勉強のことはそんなふうに考えていました。

一つ隣の中学校へ

小学校を卒業したら、普通は小学校のメンバーとともに地元の公立中学校に通うことが多いと思います。

しかし、僕は違いました。

父の仕事の影響で、一つ隣の校区の中学校に通うことになったのです。

たかが隣。されど隣。

校区が違うのですから、今まで全く会話したことのない人ばかり。

どうやったらクラスに馴染めるのか、不安で仕方ありませんでした。

しかし、そこは宮崎。

暖かくフレンドリーな人が多く、すぐにみんなが受け入れてくれました。

サッカークラブに行けなくなった

中学校では、当初、サッカークラブに所属し、部活には入りませんでした。

サッカークラブでは、部活と同じように中学1年生から3年生までのメンバーが所属していました。

そして、クラブに入りゴールデンウィークに行われた最初の合宿で、サッカークラブの洗礼を浴びました。

練習がきつい。

とにかく走る。

ついていくのも精一杯でした。

コーチからは怒られ、先輩たちのペースにもついていけない。

入りたての中学1年生だから、仕方のないことなのですが、当時の僕にはとても辛く感じました。

もうあんなきつい思いをしたくない。

クラブに行くのが、嫌になりました。

だんだんと練習をさぼりがちになり、ついには練習に行かなくなってしまいました。

学校が終わって、家に帰って一人で将棋を指す毎日。

部活には入っていなかったので、帰ってから遊ぶ友達もいませんでした。

でも、クラブのコーチや先輩が僕のことを心配して電話をかけてきたり、話を聞いたりしてくれました。

もう一度頑張ろう。お前ならやれる。

あの言葉がなかったら、あそこで潰れていたんだろうと思います。

コーチや先輩たちの支えがあって、無事にクラブに復帰することができました。

英検3級に不合格

中学校では、英検に何度か挑戦しました。

英検4級は首尾よく合格し、次は英検3級に挑戦することになりました。

筆記試験は合格し、面接対策のため英語の先生と特訓。

俺が教えた生徒で英検3級の面接に落ちた生徒はいないんだよ。

先生は自信満々でした。

しかし、僕は落ちてしまったのです。

英検3級の面接で落ちる人はほとんどいません。

数える程度です。

思い返してみると、緊張して、何も頭に入って来ず、会話がうまく噛み合っていなかったのだろうと感じています。

でも、まさか落ちるとは思っていませんでした。

これがトラウマになって、結局英検3級は再挑戦せず、それ以上英検を受けることはありませんでした。

中学3年生でまた転校

中学2年生になり、クラブや学校でも友達が増え、楽しい毎日を送っていました。

しかし、中学3年生でまた転校することになったのです。

父親はまだ宮崎で働いていましたが、時期に東京に戻るだろう。

ということで、父を宮崎に残し、残りの家族は母の地元である神奈川に移動することになりました。

サッカークラブでは、3年生が引退してからキャプテンを務めていました。

挫折を味わった少年が、チームをまとめるまでに成長していたのです。

しかし、キャプテンを務めたのは2年生の秋冬だけで、新学期にはいなくなり、キャプテンは交代。

チームのメンバーも動揺を隠しきれず、申し訳ない思いを感じながら、チームを去りました。

都会との差を感じた中学3年生

中学3年生になり、また名前も顔も知らない同級生との生活がスタート。

家から学校までは距離があり、1時間に数本しかないバスの運行の関係で、学校にはだいたい一番乗りでした。

しかし、クラスに友達がいないため、学校に来てもやることがない。

しばらく、ポツンと一人で座っている状態が続きました。

宮崎から見れば、神奈川は都会。

都会の中学生は遊ぶ場所をたくさん知っている。

都会の刺激に打たれながら、宮崎と神奈川の差を肌で感じました。

僕は美術が苦手でした。

いくら頑張っても成績が伸びない。

絵心がないのか、どうもまとまらない絵になる。

美術を頑張りたい。

中学3年生の時の密かな目標でした。

文化祭では、各自が好きな作品を作って発表します。

僕は、当然美術の作品に取り組むことにしました。

美術の先生に教えを乞い、一生懸命描きました。

なんとか完成し、文化祭で発表。

多くの人に見てもらい、とても達成感を得ました。

学校の授業も積極的にやりました。

いい高校に行くためには、主要教科だけでなく、美術を含めた他の教科でもいい成績を取る必要がある。

文化祭で頑張った経験を生かし、主体的に取り組みました。

しかし、美術の成績は他に比べて悪いままでした。

頑張っても報われないものがあるのか。

僕は、ひどく落ち込みました。

結局、学校の成績と面接で評価される高校の前期選抜試験は落選。

試験で受験する後期選抜試験で、高校に進学することになりました。

怪我で全てを失った高校時代

高校では、陸上部に入りました。

中学校時代から、サッカーに加えて陸上にも興味が湧き、高校では陸上一本で頑張ろうと思ったのです。

洗練を受けた高校1年生

入学した高校はそこそこの進学校でした。

入って初めての定期試験。

僕は、中学校の勉強と同じノリで試験勉強をし、試験に臨みました。

しかし、結果は惨敗。

特に数学は燦々たるもので、中学校時代には取ったこともない点数を取ってしまいました。

周りのレベルが高かったことはもちろんですが、それ以上に自分の不甲斐なさが悔しかったです。

そこからは、気持ちを切り替え真面目に勉強。

試験でいい順位を取るべく、真剣に頑張りました。

その結果、徐々に成績を上げていくことができました。

一方、家庭生活の面でも、高校1年生は大きな変化があった年でした。

東京に戻るはずだった父親が、まだ宮崎で働きそうだというのです。

しかも、相当長く宮崎で働きそう。

母は、再び宮崎に戻るという決断をしました。

すでに受験を受け、高校に入学していた僕は簡単には転校をすることはできません。

僕は、母親の実家でおばあちゃんと2人暮らしをすることになり、家族は宮崎へ行きました。

今振り返ると、父親とは中学2年生まで、母親とは高校1年生までしか一緒に暮らさなかったことになります。

そこからは、おばあちゃんとの2人暮らしでした。

全てを失った高校2年生の怪我

新学期が始まり、高校2年生になりました。

部活の冬季練習も頑張り、夏の高校総体に向けて一生懸命練習していました。

そんなある日のことでした。

スタートの練習をしていた際、足を肉離れしてしまったのです。

突然の痛みで、何が起こったかわかりませんでした。

すぐに練習をやめ、足を冷やして家に帰りました。

そんなに大した怪我ではないだろう。

そう当時は考えていました。

しかし、痛みは引かず、走れない日々が続きます。

高校総体も結局、結果を残せずに終わりました。

その後も痛みは引かず、痛みが引いて走れるようになったのは秋の終わりになってからでした。

結局、1年生のベストを超えられずに、2年生のシーズンは終了。

来年は絶対巻き返す。

2年生の冬季練習は死ぬ気で頑張りました。

暗闇の高校3年生

3年生の夏、それは全てをかけた戦いでした。

高校1年生と2年生の体育祭、高校2年生の時の修学旅行、高校3年生の文化祭、これらは全て部活と重なったため参加することができませんでした。

練習に明け暮れ、遊ぶ時間もない。

文字通り、全てを陸上に賭けていました。

しかし、あと一歩のところで目標には届かず。

僕の青春は終わりました。

母は宮崎からわざわざ見に来てくれました。

でも、僕は正直怖かった。

母に負ける姿を見せてしまうのではないかと。

そして、負けてしまった。

意気消沈してる僕の元に、母が来てこう言いました。

「よく頑張ったね」

その瞬間、涙が止まらなくなりました。

負けた悔しさなのか、勝つ姿を見せられなかった不甲斐なさなのか、はたまた両方なのか

とにかく、涙が止まりませんでした。

今まで自分がやってきたことはなんだったのか。

全てが無駄だったように感じました。

その後も諦めきれず、結局高校3年生の9月頃まで陸上を続けました。

周りの同級生はもう受験勉強を始めていました。

受験と向き合うのが怖かったのかもしれません。

自分は何もできない、ダメな人間だ。

次第に、そう思っていくようになりました。

それくらい、負けたショックは大きかったのです。

結局、大学受験も失敗しました。

というか、受かる気がしなかった。

とにかく、自分に自信がなかった。

落ちたのも、今から考えれば当然だったと思います。

浪人時代 = 暗黒時代

大学受験に失敗したため、浪人をすることになりました。

高校を卒業して、祖母の元を離れ、予備校の寮で一人暮らし。

勉強漬けの毎日が始まりました。

朝は予備校が開く前からドアの前で待機し、授業は一番前の席で受けました。

帰ってからも必死で勉強しました。

しかし、成績は上がりませんでした。

今から考えると、その理由はわかります。

あの時は、ただ勉強していた。

勉強しなきゃという思いに駆られ、ただ量だけをこなしていました。

ある問題を解いても、その問題が解けるようになるだけで、他の問題に応用できるような考え方を身につけることができていなかったのです。

だから、授業でやった問題が解けても、模試で出た初見の問題は解けない。

失敗は、必然でした。

そんな負のスパイラルが、さらに僕を追い込んでいきました。

成績は上がらないまま、冬を迎えました。

クリスマス、母から、プレゼントの靴下が届きました。

その時、また涙が止まらなくなりました。

浪人には当然お金がかかる。

無理言って浪人させてもらっているのに、どうしてこうも不甲斐ない結果しか出せないのだろう。

周りの浪人生たちは友達と一緒に勉強し、楽しそうでした。

しかし、僕は一人きり、寂しく寮で勉強していました。

僕はどんどん、追い込まれていきました。

そして、センター試験を間近に控えた、1月初旬。

ついに僕の気持ちが切れました。

朝から何もやる気がなくなり、ベットから出ることができませんでした。

しかし、そこで奇跡が起きました。

僕は、そこであることに気づいたのです。

その気づきが、僕を救ってくれたのです。

自信をなくした高校時代以来、初めて訪れた光でした。

これによって一気に気持ちは楽になり、精神的に安定。

センター試験、2次試験と突破し、無事に大学に合格することができました。

この時の気づきは、今の僕を支える重要なものとなっています。

司法試験を目指した大学時代

心の靄が消え、晴れて大学に入学することができました。

大学に入った時の目標として、僕にはある目標がありました。

それは、大学在学中に司法試験に受かるということです。

今の司法制度のもとでは、司法試験を受けるには原則として大学を卒業した後、さらに法科大学院で2年間勉強しなければいけません。

しかし、予備試験という試験があり、この試験に受かれば、法科大学院に行かずとも、司法試験を受ける必要があります。

予備試験という存在

僕が予備試験の存在を知ったのは、大学受験のための浪人時代です。

予備校の数学の先生が、授業の時にこういったのです。

「今から弁護士になるなら、絶対予備試験を合格していったほうがいいよ。

   そのほうが就職にも有利だから。」

その言葉があったおかげで、僕は予備試験のことを心の片隅にとどめておくことができました。

また、弁護士を目指したのは、僕の叔父の言葉もありました。

「せっかく法学部いったのなら、弁護士になったほうがいい。

弁護士という資格を持っておくだけで、最初からレベルの高い人たちと関わることができる。

どれだけ高いところから社会人を始めるかがすごい大事だ。

そこで得た経験・人脈があれば、どこでだって仕事できる。」

こうして、僕は司法試験を目指すことになりました。

やるんだったら、一生懸命やろう。

浪人時代の遅れを取り戻したかったこともあって、大学在学中の司法試験合格を目指すことに決めました。

当時は、大学在学中に司法試験まで合格する人は珍しかったのです。

僕は、それになろうと決めました。

1回目の挑戦は失敗

こうして、僕の挑戦が始まりました。

週3回、1日3時間の講義を聴くために予備校に通いました。

必死でした。

大学に入っても部活を続けていたこともあり、

部活が終わってから、1時間遅れで講義を聴きに行ったこともありました。

周りには、講義についていけず、サボりがちになってしまう人もいました。

でも、僕は通い続けました。

そのおかげもあって、1年間で一通りの範囲を学ぶことができました。

予備試験は、短答式、論文式、口述式に分かれています。

この中でも、もっとも難関なのが論文式試験。

予備試験に合格するためには、論文式試験の対策が不可欠です。

僕が通っていた当時の予備校は、1年目は予備試験の短答、2年目で予備試験の最終合格を目指すカリキュラムでした。

それに甘えてか、僕の中でも、1年目は短答に合格できればいい、そんな甘い気持ちがありました。

そして、見事短答式試験は突破したものの、論文式試験は惨敗。

結果は見るに無残なものでした。

あの時もっと頑張っていれば。

絶対最終合格するという意気込みで勉強していれば。

1回目の試験で合格することができただろうと今では思います。

自分で可能性を潰してしまった。

司法試験受験時代の最大の後悔かもしれません。

論文式試験で惨敗したショックは、しばらく僕の中に残りました。

下手したら、また浪人時代のような暗黒時代がまたやってきたかもしれません。

しかし、ここでも僕を救ってくれたのは、気づきでした。

浪人時代とは別の、新たな気づきが僕を救ってくれました。

偶然とは、不思議なものだと思います。

そのおかげで、なんとか2回目で予備試験に合格することができました。

予備試験に合格したら就活が楽勝というのは本当だった

予備試験に合格したその年の冬、各法律事務所は予備試験合格者のためだけに、事務所説明会を開きます。

予備試験の最終合格率は約4%。

難関をくぐり抜けてきた優秀な頭脳を今のうちに青田刈りしておこうと、各事務所が囲い込みをかけるのです。

それだけでも、予備試験合格者が相当優遇されているのがわかります。

予備試験に合格したといっても、司法試験の受験資格が受けられるにすぎません。

来年の司法試験に落ちたら、全てがパーです。

しかし、国内の有力事務所がこぞって説明会を開き、予備試験合格者を接待するのです。

合格前とは全く違う世界がありました。

完全に別世界です。

予備試験に合格するとこうも違うのか。

衝撃を受けました。

それと同時に、僕の中である思いが生じました。

予備試験合格者は、次の年に司法試験を受験できるわけですが、

ほとんどの人が司法試験に合格します。

つまり、予備試験に合格した段階で、間違いさえしなければ司法試験も合格したようなものなのです。

僕も当時そのように考え、司法試験合格という目標がもう達成されたかのような感覚に陥ってしまいました。

そして、思ったのです。

これからは、何を目標に頑張ればいいんだろう。

予備試験に合格すれば、司法試験も安泰。就職も安泰。

司法試験をそこまで頑張ることに、何か意味があるのかと。

弁護士になっても何かやりたいことがあったわけでもない。

ただ、可能性を広げる道を選んだだけ。

明確な目標はありませんでした。

予備試験に合格し、法曹になることに燃えている周りを見て、何か冷めてしまっている自分がいました。

迷走する司法試験時代

予備試験を終えて、冷めた気持ちは戻らず、法律に対する興味はだんだんと薄れていきました。

勉強もあまりしなくなり、プログラミングを勉強したり、友人と起業しようとアイデアと出し合ったりしていました。

しかし、いつも中途半端なところで辞めてしまう。

どれか一つでもやりきっていれば、これもまた人生を変えていたのかもしれないと思います。

煮え切らない日々が続いていました。

司法試験は無事に合格。

頑張りはしましたが、予備試験に合格していたので、周りからは「受かって当たり前」

大学時代の目標は、いつしかどこかに消え去っていました。

試験合格後、講師の道へ

試験に合格した後、司法試験予備校で講師をすることになりました。

荒馬が司法試験の講師をしている理由はこちらで書いているのでご覧ください。

荒馬が司法試験講師をする理由とは??

そこではいろいろなことを学びました。

自分ではなく、他人を合格させないといけない。

合格させる前に、講座を作り、生徒を集めなければいけない。

コンテンツ作りや、マーケティングを学びました。

法律より楽しいんじゃないか。

だんだんと、ビジネスの道に惹かれていきました。

何より、自分でコンテンツを作り、客を集めて、稼ぎを作る。

その導線を作るのが楽しかった。

自分の力で道を切り開いていける。

その可能性を感じました。

ネットビジネスの世界に出会ったのは、この後でした。

ネットビジネスの世界には、まだまだ自分の知らない世界がたくさんある。

ありえないくらい稼いでる人たちがいる。

とても魅力的でした。

そして、まだまだ自分は結果を出していない。何もやれていない。

自分の力で稼ぎを作る。

これをもっともっと徹底的にやらないければいけない。

そう考えるようになりました。

可能性を追求したい。

自分の力で稼ぎを得たい。

その思いで、頑張っています。

ーーーーーーーーーー荒馬物語終わりーーーーーーーーーーー

改めて、ブログのコンセプトをおさらい

いかがでしたか?

僕のブログでは、「可能性を追求する」「自分で稼ぐ」

という考え方を基にして、情報を発信していこうと思います。

まだまだ僕は未熟です。

やりたいこともたくさんある。

失敗もたくさんしてきました。

でも、だからこそ今がある。

だからこそ今頑張れる。

それを身を以て、実践していきたいと思います。

法律を学んでも、

人を感動させる方法

ものの売る方法

価値を発見する方法

この3つのことはわかりませんでした。

この3つは、今の僕が身に付けたいことです。

今の僕には、全くわかりません。

でも、これが生きていくために、

影響力を持つために必要なことではないかと思うんです。

まずは、これらの能力を身に付けて、自分の稼ぎを自分で作れるようになって、

それから、やりたいことをやるべきだ。

大きな夢を掲げる前に、まずは自分で自分を養えるようになるべきだと感じています。

このブログは、こんな僕が変わっていく過程を綴った物語です。

人間、学べば大きく変わります。

でも、変わるためには正しい努力が必要。

ただ闇雲に頑張ってもダメです。

本当に大事なことを人は教えてくれない

これは、社会の真実です。

だからこそ、自分自身で真実を勝ち取る必要がある。

そのために、役に立つ情報を発信していこうと思います。

少しでも多くの人の役に立てれば嬉しいです!

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