なぜ司法試験の指導をしているのか

  • 2019年8月6日
  • 2019年9月29日
  • 勉強

こんにちは、荒馬です。

僕は今、都内の司法試験予備校で講師として働いています。

司法試験に合格してから約3年間、すでに講師を続けていることになります。

そんな僕が、なぜ司法試験の講師をやっているのか、その理由を書いてみたいと思います。

法学部の不人気

法学部って、今あんまり人気ないですよね…

「法曹」や「官僚」にうまみがなくなり、法学部を敬遠する人が増えてきている

そんなニュースをよく聞くようになりました。

司法試験の世界では司法制度改革が行われましたが、

現在では法科大学院の数は減る一方、司法試験の受験者も年々減少しています。

資格としての司法試験

現行制度において、司法試験を受ける道は2つあります。

1つは、大学を卒業した後、法科大学院で2~3年学んで卒業し、司法試験受験資格を得るパターン。

もう1つは、予備試験に合格して、司法試験受験資格を得るパターンです。

現行の司法試験制度では、法科大学院に進学し、司法試験を受験するルートが通常です。

そして、司法試験に合格したら、弁護士、検察官、裁判官のいわゆる法曹と呼ばれる仕事に就くのが一般的です。

ところが今、司法試験に合格しても、法曹にならない人たちが増えています。

司法試験合格を名刺がわりにして、ビジネスをやるなど新たな道に進む人たちが出てきています。

法律の勉強を通して学んだ論理的思考力を生かし、別の道に進む人が現れた。

一部ではありますが、法律を学ぶ人たちの中で新しい流れができつつあります。

自発的に考えることができなかった受験生時代

僕が、講師をやろうと思った理由は、受験生時代の経験に基づいています。

当時の僕は、受験勉強のため、予備校に通いました。

その予備校では、2年間でのカリキュラムを組んでおり、2年目で予備試験に合格することを目標としていました。

1年目は各科目の基礎知識のインプットを行い、2年目で論文の書き方を勉強していく。

このようなスタイルでカリキュラムが組まれていました。

当時の僕も、そのカリキュラム通りに勉強をしていました。

しかし、今振り返ってみて思うのは、インプットの時間をかけすぎたという点です。

知識とは、インプットとアウトプットによって成り立つものです。

インプットだけしててもダメだし、アウトプットだけしててもダメ。

その両方をやらなければいけません。

特に、最近はアウトプットが重要視されています。

学んだことは、発信していくべきだと。

こうやってブログを書いたり、SNSやYouTubeで発信していくことも、アウトプットの一例ですよね。

受験生時代の僕は、インプットとアウトプットを完全に分けてしまっていました。

インプットを終えてから、アウトプットに移行していく。

インプットとアウトプットを並行して行わなかったおかげで、時間を無駄にかけてしまったという思いがすごいあるんです。

学んだことを即アウトプットして、確実に知識に変えていく。

そうすれば、もっと合格は早かっただろう。

そう思っています。

また、勉強したことをブログ等で発信していれば、その内容はいつしかたまっていき、資産となります。

そうすれば、勉強してきたその過程自体が実績になる

そういったチャンスをみすみす逃してしまったんですね。

もったいないことをしたと思っています。

これから勉強を始める受験生

このブログを読んでいる方の中には、これから司法試験の受験をしようと考えている人がいるかと思います。

勉強を始めるにあたっては、ある程度将来を見据えておかなければならない。

そんな時代になっているのかなと思います。

司法試験を受験した後のキャリアとしては、通常通りそのまま法曹になるという流れがあるでしょう。

裁判官や検察官は国から雇われる立場ですから、安定して仕事に集中することができます。

一緒に働く人たちのレベルも高いですし、魅力的な仕事だと思います。

弁護士になりたい人たちは、予備試験ルートを目指すのがいいでしょう。

予備試験合格という実績は、法律事務所への就活でかなり有利になります。

ないとだめというものではないですが、あると就職がすごく楽になる。

そんなイメージです。

実際、予備試験に受かるまでは書面審査で落とされていた人が、予備試験に受かった途端、簡単に面接に進むことができ、内定を獲得していく。

そんな例なんてざらにあります。

また、大手の事務所では、1年目から年収1000万円というのが普通です。

これは、他の業界ではありえない高水準の待遇といえるのではないでしょうか。

予備試験に合格するメリットは、お金の話だけではありません。

予備試験の最終合格率は、約4%。

かなり低い数字です。

でも、これに合格したからこそ、その見返りはものすごいものがあります。

実際に優秀であるかどうかは別として、試験に受かった途端、優秀な人間として扱われ、好待遇を受けることになります。

要は、可能性が広がるってことなんですね。

予備試験に合格すれば、その後の選択の幅が増える。

予備試験を受けないのは、その可能性を自ら潰してしまうようなものです。

可能性を狭めない

これは、将来を考える上で一つ頭に入れておいていいことだと思います。

法曹ではなく、別の道へ

司法試験に合格した後は、法曹になる人たちが圧倒的に多いです。

しかし、法曹にならず、別の道へ進む。

少数ですが、その道を選択する人もいます。

僕は、そんな人たちを応援したいと思うんですよね。

司法制度改革により、弁護士の数は増えました。

国内最大の弁護士事務所は、今では500人以上の弁護士を抱えています。

ただ一方で、弁護士になって、明確な目標を持てない人も増えています。

法律事務所では、事務所の顔として仕事を取ってくる、パートナーと呼ばれる弁護士がいます。

弁護士になり、経験を積んで、事務所のパートナーになる。

これが、弁護士のキャリアとしての一般的ルートだったんですよね。

しかし、今は事務所のパートナーの数も増え、それ以上に新卒採用される弁護士の数も増えています。

パートナーになりたいと思っても、パートナー予備軍の弁護士が多すぎて、そこで競争になってしまっているんですね。

挙げ句の果てに、パートナー弁護士になれず、いつまでたってもシニアアソシエイトのままなんて弁護士も増えています。

これは本当に夢があるのか。

そもそも、事務所のパートナーになることが目標でいいのか。

こういう疑問を持つ人がもっと増えてもいいと思うんです。

弁護士の仕事は、依頼者がいないと始まりません。

依頼者ありき、どうしても自分から積極的に仕事を始めることは多くありません。

自分からアイデアを出し、新しい何かを生み出す。

そういうクリエイティブさを発揮する機会が、どうしても少ないと思うんですよね。

だったら、司法試験に合格して、法曹になることにこだわる必要はないんじゃないかと。

とりあえず司法試験を受けて、合格してそれから自分のキャリアを考えてみる。

そんな選択肢もあっていいのではないかと思っています。

ひと昔前ならとりあえず司法試験なんて言葉はとても言えない状況でしたが、今は、制度も変わり、司法試験に合格しやすくなっているといえます。

僕が合格できたのも、制度変更による恩恵を受けたものだと思っています。

受験生が求めるものとは

司法試験の受験を決めた以上、受験生としては、当然予備校に試験に合格するために法的知識を教えてほしいのだろうと思います。

予備校もそれに合わせて、鋭意教材開発に取り組んでいます。

しかし、ただ受験生を勉強させればいいわけではない。

勉強することなんてそれこそ法律だけでも掘り下げれば山のようにあります。

司法試験で必要とされることなんて、法律の実務から見ればほんの少しにすぎません。

それだけに、予備校講師として、受験生に勉強させようとすれば、それこそいくらでも勉強させられます。

あれも必要、これも必要だよと。

しかし、司法試験受験生として大事なことはまずは試験に合格することです。

現在の司法試験に合格しようと思ったら、基本的な部分を落とさず、大きなミスをしない。

これだけで合格は可能です。

試験に向けて、自分の答案の中にあるバグを取り除いていく。

不合格になる要素を一つ一つ取り除いていく。

この作業を行なっていけば、そんなに時間をかけることなく、効率的に試験に合格していくことができます。

受かるための勉強ではなく、落ちないための勉強をすればいいんです。

現在では、多くの分野で研究が進み、学問の全体像を把握することはほぼ不可能です。

あれもやろう、これもやろうではなく、何をやるべきかの選択が求められる時代です。

そうすると、求められるのは、自分にとって何が必要かを見極める能力。

基本書、判例、学説と闇雲に勉強して、知識を蓄えれば合格する。

試験合格のためにはそれでいいのかもしれませんが、これからの時代を生きるにあたってそんな能力は求められていません。

必要な事項を選択して学習する能力が求められています。

「受かるため」という勉強のスタンスはもはや時代にそぐわないものだと思っています。

プログラミングと同じです。

機能を詰め込むのではなく、必要な機能を実装し、バグを取り除く。

必要なものを取捨選択する能力を、試験勉強の中で見つけていかなければいけません。

受験生だって人間

受験生のうちは、楽しいことは我慢。

寸暇を惜しんで、勉強するべし。

昔だったら、受験生はそういうスタンスで勉強していたのかもしれません。

しかし、受験生だって人間です。

「新しいことをやってみたい」

「楽しいことをしたい」

「モテたい」

「魅力的になりたい」

「ネタが欲しい」

「友達が欲しい」

このような、人間としての根源的な欲求があると思うんです。

そこから、目をそらしてはいけない。

受験生だからって我慢することはないし、受験生として過ごす時間もその人の人生。

勉強漬けで過ごしたからといって、その後に楽しい時間が戻ってくるわけでもありません。

我々は、自分の人生の時間をどのように使うか、選択を迫られているんです。

受験生だからといって、勉強に専念するのもその人の自由。

誰の責任でもありません。

過ぎ去った時間は二度と戻ってこないんです。

大事なのは、将来をどう生きるかではなく、今をどう過ごすかということ。

受験勉強だけの人生を過ごすか、効率的な勉強をしつつ、やりたいこともやる人生を歩むか。

どちらの人生を選ぶかは、その人自身が選択することができます。

また、知らないうちに選択させられていると表現することもできます。

大事なのは、合格することではないんです。

合格は、結果です。

司法試験の合格は、今やそれだけを目標にして注力しなければいけないほど難しいものではないんです。

合格のために、自分の人生をどれだけ費やすか、それを選択することができる。

そんな時代です。

大切なのは、時間です。

与えられた時間を、自分の人生として、どう過ごすか。

人生の時間の配分を考えた上で、一部の時間を試験勉強に費やすのならまだいい。

しかし、人生の中の時間という視点を持つことなく、闇雲に試験勉強に時間を費やすのは人生を無駄にしていると言わざるを得ません。

そんな思考では、たとえ受かったとしても、就職した事務所にいいように搾取されて、自分の人生なんだったろうと後悔することになるでしょう。

試験への勉強を自分の中でプラスに変えられるかは、結局、意識、視点の問題なんです。

試験の合格に必要なもの

参考までに、試験の合格のために求められている要素の話をしておきます。

司法試験では、短答式試験、論文式試験があります。

このうち、合格にとって最大の難関といえるのが論文式試験です。

多くの受験生が、ここで苦労します。

論文式試験では、与えられた事例の中から問題点を洗い出し、それを法律的な解釈に当てはめ、論理的に表現することが求められます。

法的な問題点がわかっても、それを適切に読んでもらえなければ、合格することはありません。

読まれなかったら、いくらいい文章を書いても意味がない。

これは、ブログを書く人間にとっては痛いほどよくわかることではないでしょうか。

読まれる文章を書くためには、コピーライティングの技術が必要です。

その中でも、見出しをつけて、これから書く文章の内容を読み手に予測させ、読み手の心理的負担を解消させてあげることは、書き手が特に意識しなければならないことです。

司法試験の論文でもこの能力が求められています。

ライティングというよりは、エディット

与えられた情報を編集し、読み手に伝わりやすい文章を書く。

これができるだけで、他の受験生に相当差をつけることができます。

論文において、バグを取り除くというのは、このエディットという作業に他なりません。

何を書くかではなく、どう書くか。

ここにフォーカスすれば、余計な知識を身につけずとも合格することができるんです。

むしろエディットという意識を持っていないと、ただ知識をつけるだけでその知識が贅肉のように邪魔になってしまいます。

しかし、合格が遠い受験生の多くは、知識の詰め込みに夢中になってしまい、相手に伝わる答案の書き方などは意識すらしないというのが現状です。

そんな独りよがりな態度では、試験にも合格しないでしょうし、この先の人生でうまくいくこともないでしょう。

相手に伝わりやすい文章を書く。

結局は、ここにたどり着くんです。

司法試験では得ることができなかったもの

当たり前ですが、1つのことを勉強したからといって、それで全てが得られるわけではありません。

当然、得られないものもあります。

では、その得られないものはなんなのか。

僕が司法試験の勉強をしてみて、得られなかったもの、今欲しいと思う能力。

それが3つあります。

これは、僕がブログを書く動機にもなった本質的要素でもあります。

僕が得たい能力、それは、

人を感動させる力

ものを売る力

価値を発見する力

この3つの能力です。

①人を感動させる力

法律は、依頼者が困ったことを解決するのが仕事です。

当然、問題を解決すれば、相手から感謝されます。

依頼者から感謝される。

これは、弁護士として働く上で大きな喜びとなるものです。

しかし、感謝はされても感動させることは難しいのではないかと思うんです。

もちろん、不可能ではないでしょう。

ただ、相当に難しい。

感動させる、というのはサプライズです。

相手を驚かせる。

相手が思ってもいなかったことを、相手のためにやってあげる。

これは、枠にとらわれていてはなかなか難しい。

法律という枠の中で仕事をしようとすると、相手を感動させるところまで行くのは相当難しいのでしょう。

相手の求めることをする、これが弁護士の仕事としての基本であり、責務です。

ただ、求めていることで終わっていては、感謝でとどまってしまう。

相手を感動させたいと思ったら、法律の力に頼るべきではないと思ったんですよね。

エンターテインメント。

相手の予測を超えるようなことをしでかすことができるか。

これこそがイノベーションであり、時代を切り開く力なのだと思っています。

②ものを売る力

弁護士は、基本的にはあまり営業をしません。

仕事が振られてくることがほとんどです。

依頼者が問題を抱えてからが仕事のスタートなので、自ら営業をかけに行くのが難しいという特色もあります。

そうすると、ものを売るという経験をすることがない。

マーケティングやセールスという視点が、がっぽりと欠落してしまっています。

集客から販売までの一連の仕組みを考え、実行していく。

非常に面白い、知的な作業をすることがほとんどないんです。

人生一度きり。

この面白い体験をほとんどしないまま終えてしまうのはあまりにももったいないと思っています。

ものを売る力。

これは全ての人にとって必要な能力であり、この能力に長けた人間こそが世界に影響力を与える人間になっているんだと思っています。

③価値を発見する力

3つ目として、価値を発見する力と書きましたが、正直これはあまり僕の中でも深掘りできていません。

②の能力と似ているような気もなんだかします。

価値を「発見する」のか、「与える」のか、「生み出す」のか。

ここら辺も曖昧なままです。

ただ、一ついえるのが「価値」というものがなんなのかわからないということ。

「価値のある」ことをする。

これはビジネスにとって基本的なことだと思いますが、その「価値がある」というのがなにかわかっていません。

法律は面白いし、奥が深いです。

それだけに、法律の勉強に没頭すれば、人生全部をかけても足りないことになりかねません。

没頭することも大事だと思います。

ただ、そうすると他人の気持ちを考えることがない。

他人がいなくても、没頭する対象があるから生きていけてしまう。

それでは、他人が何を求めているかがわからなくなってしまうと思うんです。

「価値」とはなんなのか。

どんな人がどんなものに「価値」を感じるのか。

これは一人で勉強しているだけではわかりません。

意識的に考えないと、わからないことだと思います。

法律では、何が「価値」かという話は出てきません。

そういう学問ではないということですね。

ただ、時代時代においてより多くの人にとって「価値」となるものを発見した人が、その時代を彩ってきたと思うんです。

それこそが人類の発展の本質ではないかと。

そして、「価値」を見出してきたのは、商人だった。

「価値」というものを考えることが、僕にとっての課題です。

結局は教育にたどり着く

○○スクールみたいなの、今すごく多いですよね。

特に、プログラミング界隈ですごく多いかなと思っています。

プログラミングを学んで、力がつけば、今度は自分が教える立場になる。

なんでだろうって思ってました。

プログラミングの力がついたのなら、教育なんかせず、それによって実現できる仕事をすればいいのにと。

しかし、結局は教育が一番意義のあることだから必然的にそうなっているだけではないかと考えるに至ったんですよね。

サービスやものを造ったりするのではなく、人と関わり、人を変える。

これが、人にとって大きな喜びになるんじゃないかと。

人生で最も大事なことはなんだ、と問われて、お金と答える人はいないでしょう。

でも、みんなお金を求める。

それはなぜかと考えるに、人との繋がりを求めているからじゃないかと思うんですよね。

お金があるということは、ある程度地位なり実績なりがあるということ。

そうすると、普通では出会えないような人との人脈ができたりする。

結局は、人との繋がりを求めて活動してるんじゃないでしょうか。

お金というのは、できることを増やしてくれる手段なんですよね。

それによって、自分のできることをうまく増やしていけるかどうか。

視点を持って使っていかないと難しいんだろうなと思います。

学んだことのアウトプットを繰り返していくと、結局は教育にたどり着く。

自分だけではなく、他人のためを思うて、そこに再現性を求めていく。

教育というのは、バカではできない仕事だと思います。

終わりに

以上、なぜ僕が司法試験の指導をしているのかについてつらつらと語ってみました。

司法試験だけにとどまらず、人生を見据えた広い視野を持って考えられるようになろうってことですね。

そして、3つの力を追い求めるために必要だと思ったってことでもあります。

おそらく今後は、法律という道から離れて別の分野に様々進出していくんだろうなと思います。

ただ、司法試験の講師自体は継続すると思うので、もし司法試験勉強したいって人がいれば、連絡してくれると嬉しいです。

まあ、予備校は他にも色々あるし、勉強方法も人それぞれなんで、そこは考えてもらってって感じで。

というわけで、今回はここで終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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僕は、現在フリーとして働きながら、司法試験予備校の講師としても働いています。

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